2014年3月16日〜31日
3月16日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 ルイット氏は美男なのだが、躾のなってないスピッツに似ていた。小柄でせかせか動き、よくしゃべり、攻撃的だった。

 パオロと話をさせて欲しいといっても、

「パオロ! あのバカのことは口にもするな。3年たってもフランス語もわからんバカ犬めが! わたしは賢い犬がほしかったんだ」

「あの」

「問題は酒だ。早く取り返してくれ。ヴィラから泥棒が持ち出す前に! あれはそんじょそこらじゃ手に入らない貴重な酒なんだ!」

 きたまえ、と無理やり、おれたちをセラーに追い立てた。


3月17日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 セラーは二階の部屋を改築したものだった。

 素人工事で窓がつぶされている。白い粉にまみれた木の箱が乱雑に積まれていた。白い粉は指紋採取の痕だ。

「すべてカラだ。180本。全部やられた」

 ルイット氏はにがにがしげに言った。

「ここには鍵をかけておいた。三日前はすべてあった。わたしはわざわざ箱をあけて確認したんだ」 

 金曜の夜、ルイット氏はフランスから帰ってきた。酒を確認して、翌朝、犬と執事をつれ、成犬館に遊びに行った。

 土日の留守の間に酒泥棒が仕事をした。


3月18日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 ジェリーが木の箱を見て、目を細めた。

「酒はなんです?」

「ウイスキーだ」

「銘柄は?」

 おれはジェリーのわき腹を肘でついた。ルイット氏は言った。

「コルドヴァ24年」

「コルドヴァ?」

「一部の愛好家しか知らん珍品だ。ある男のコレクションだった。もう手に入らん。――きたまえ」

 彼はおれたちを部屋から出し、階下に連れてきた。

「犯人はここから侵入した」

 リビングの中庭に面したフランス窓を示した。鍵のそばのガラスが丸く切り取られている。

「次はこっちだ」


3月19日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 地下にもセラーがあった。こちらは当初からあったセラーで、酒がまだ残っている。

「高い酒だけやられた」

 いまいましげに言って、今度はまた二階へと案内する。せわしない男だ。

「ここだ。ここから酒を運び出した」

 ルイット氏が示したのは、先の二階のセラーの隣室だった。隣室の中庭に面した窓が開いていたという。ジェリーは聞いた。

「ここからどうするんです?」

「屋根だよ! 屋根にあがって、そこから家の側面にまわって、隣の敷地に入り込んだんだ」


3月20日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 ルイット氏は、そうでなければカメラに映らずに酒を運びだせるわけがない、と言った。

「ちなみに」

 とジェリーが聞いた。おれはもう止めるのをあきらめた。

「お隣との関係はどんなです?」

「つきあいはない」

 ルイット氏は手を振った。

「メキシコの海運業者か? なんでもいい。顔も見たことない。ただ、執事から犬がいたずら者で困る、と聞いている」

「どんな」

「執事に聞け」

 にわかに彼は疲れたようだった。

「医者にいく。さっさと酒を取り戻してくれ。日曜までに」


3月21日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

「ご主人様は二階のウイスキーがご心配のようですが、地下から盗られた酒もたいへんなものです」

 執事もおれたちに酒泥棒を捕まえさせるべく、損失を言い立てた。

 品のいい英語。銀髪を撫でつけ、着こなしにも隙がない。ジェリーが「ザ・執事」とつぶやいた時は、つい吹きそうになった。

 ザ・執事は首を振った。

「わたしが残っているべきだったのです。しかし、ご主人様はいつも調教の時には、わたしを同伴なさるのです」


3月22日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 ザ・執事によると、主人はフランスから帰ると、まず犬の調教をする。その際、執事は主人のグラスにワインを注ぐためだけに侍立する。

「アクトーレスの汗で汚れた手でワインを注がれるのはいやなのだそうです」

 ゆえに調教の間、家はもぬけのカラになるらしい。

「帰っておどろきました。二階に主人のコートを持ってあがると、締め切ってあったセラーのドアが半開きになっていたのです。中はおがくずが散らばっていました。隣の部屋の窓が開いていて、何が起きたかは一目瞭然でした」


3月23日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 ジェリーは聞いた。

「あんたんちのスケジュールを知っているのは誰だ」

 ザ・執事は眉をしかめた。

「家令。アクトーレス。お友だちなどもご存知でしょう」

「隣の家は?」

「さあ」

「ワン公は、いたずら小僧なんだって?」

 バジル、と執事は唸った。

「友だちを呼んでは、番地をつけかえておくのです。ここと隣は似たようなつくりですから、友だちの犬が間違えてうちをたずねてくるのです。四度もたずねてくるバカもいます」

 ジェリーはおれにPDAを出せ、とうながした。

「なに」

「浮気犬の写真」


3月24日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 おれが浮気犬レネの画像を見せると、執事は冷たく

「この犬です」

と言った。

 おれは少しぼんやりした。
 四度? 

 その時、呼び鈴が鳴った。

「失礼。荷物が来たようです。よろしければこれで」

「ああ、次はワン公を呼んでくれ」

 執事は、パオロはいま動けない、と言った。

「部屋へご案内しましょう。少しお待ちください」

 執事は席をたった。ジェリーはすぐにリビングのフランス窓に貼りついた。においを嗅ぐように床を見つめている。

「おい」

 おれは低い声を出した。

「なにやってんだ」


3月25日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

「なにって浮気調査だろう」

 ジェリーは床から目をあげず、言った。

「どっから見ても、浮気調査じゃねえか」

「好き勝手するなら、レネの件からはずれてもらうぞ」

 窓から引き剥がそうとすると、ジェリーはひょいとかわして部屋を出て行った。

「ジェリー!」

 彼は勝手に地下におりた。地下には、ちょうど配達係が荷物を運びこんでいるところだった。

「重そうだね。荷はなんだね」

 ジェリーが話しかけると、配達係はガラガラ声で言った。

「ワインですよ。フランス人の家はみんなこれだ」


3月26日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 執事は少し迷惑そうな顔をしたが、ジェリーを止めなかった。
 ジェリーは聞いた。

「あんたいつもここの家を回るのかい」

「ああ。この地区の受け持ちだ。おれとチップとふたりで毎日二回、回るんだ」

 配達係は言いながら、ワインの箱を地下のセラーにていねいに置いた。ジェリーが彼の後について聞く。

「土曜と日曜もきたかね」

「ん――ああ、泥棒の件!」

 配達係は大きな笑顔を見せた。

「あたしはあの日、お隣には行きましたがね。ここらであやしい連中は見てませんよ。とりあえず、地下道にはね」


3月27日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 パオロの部屋は簡素だった。ベッドとゲーム機のついたテレビがあるだけ。

 だが、住人はブロンズの肌をした美しいラテンの犬だった。黒目がちの眸は甘く濡れ、唇にはあどけない少年のにおいが残っている。

 クッションを抱え、全裸でベッドに寝そべっていた。

「ごめんなさい。お尻、腫れてる。座れない」

「かまわないよ」

 おれは言った。

「友だちのレネのことで聞きたいんだ」

 パオロは首をかしげた。

「だれ?」

 歩くオレンジ、とジェリーが教えた。

「ああ、イヤなやつ」

 パオロは鼻にしわをよせた。


3月28日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

「喧嘩したそうだね」

「アイツいつも、イヤなこと言う。乞食、言う」

 パオロは黒い目を瞋せた。


「わたしの家貧しい。それわたし関係ありますか。あいつの家金持ち。でも同じ犬でしょ」

 おれは聞いた。

「どうして、レネはきみにからむんだ?」

 パオロは眉をしかめ、

「知らない。性根くさってる」

「レネの恋人が、きみに親しくしたとか」

「誰それ。わたしまったく興味ない」

「――」

「わたしのご主人様、こわい。浮気殺す。わたしの友だち、あれだけ」

 とゲーム機をあごでしゃくった。


3月29日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 プールの交友関係について聞いてみたが、目新しいニュースはなかった。困って唸っていると、ジェリーが聞いた。

「旦那はいつも帰ってくると、酒の無事を確認するのかい」

「そう!」

 パオロは顔をしかめて言った。

「お酒大好き。頭おかしい」

「おめえはご相伴したりは?」

 ハ、とパオロはわらった。

「見たこともない。セラー、近づくだけで殴られる。執事も入らない。掃除もしない。ご主人様だけ鍵もってる。きっとすごい値打ちもの。わたしビールでいいよ。飲んでないけどね」


3月30日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 車の前でおれはジェリーとやりあった。

「ベルクソンの仕事にケチをつけたいのか」

「そんなくだらねえこと言ってる場合じゃねえだろう」

 ジェリーも歯を剥いた。

「浮気小僧は、日曜の晩、ふらふら出歩いてた。その頃、酒が盗まれた。その前にもこの小僧は、なぜか四回も間違えて、この家に来ている。もう話は浮気じゃねえんだ。盗みの方向から考えねえと」

「手を出すな」

 おれはわめいた。

「あんたらといっしょにやる気はないんだ。ヤヌス!」


3月31日 イアン 〔アクトーレス失墜〕

「お、来たね」

 ラインハルトがドアを開けた。知らんふりして、ウォルフに声をかける。

「イアンが来た。じゃ、おれ行くから」

 拳でおれの腕を軽く小突く。そして、とっとと自分は出て行ってしまう。

 おそろしく気が重い。帰りたい。
 だが、おれはやむなくリビングに踏み入った。

「マッカラン18年。もらったんだ。いっしょにどうだ?」

 ウォルフは営業スマイルで応じた。

「護民官と話し合え、とか、辞めるな、という話ぬきなら」


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